ムッシュ豊田さんから増田貴久さんへの質問
Question
(afloat-f ムッシュ豊田さん)まっさんも僕と同じで、
中途から這い上がってきたと思うんですが
アシスタント時代の美容に対する熱さと
今の美容に対する熱さって温度差ありますか?
Answer
(TIECHEL 増田貴久さん)アシスタントと今とはやっぱり違いますね。
なんですかねー。
やっぱりディメンションにいたときは、
早くスタイリストになりたくて一生懸命だったし、
アシスタントというのは
その自分を盛り上げていくって感じだと思うんですよ。
自分のための努力というか。
スタイリストになってからは
やっぱり違いますね。
お店全体を盛り上げていくという感じ。
美容に対する熱さというのは同じでも
その心をむける内容が違うかも。
なんか、サンドリヨンの質問って
どんどん深くなっていきますねー。
これ、一杯呑みながら語りたいような話ですよねー(笑)。
そうですね。
昔は自分の練習とかが主だったんですけれど
今ももちろんお客さんに対しての技術や
接客とかサービスはもちろん追求してるんですけれども
それ以上に
いい人間やいいスタッフをつくっていく
いいサロンをつくっていくっていう感じでしょうか。
僕は要領がいいタイプではないんです。
どっちかというと、なんでも人より時間がかかると思うし
一歩一歩やっていく感じなんですよね。
だから、長くやっているから近道をできるようになったとか
そういうことはなくって
アシスタント時代も今も、一歩一歩やっている感じです。
中村康弘さんからムッシュ豊田さんへの質問
Question
(Tierra 中村康弘さん)またまたムッシュ、どうですか?
昨日、僕の家の前を車で通ったときに
「あ、ムッシュだ」と思って
手をあげるタイミングを見計らっていたんですが
スルーされました(笑)。
シカトしないでくださいって伝えてください(笑)。
で、質問です。
ムッシュって、表参道じゃない場所でやっていた時期もあった人だから、
そこでスタイリストをやって目指しているときもあったと思うし、
アフロートに入ってからは、
また振り出しに戻ってやる感じだったと思うんですが
そのときの情熱とか感情の動きみたいなのって
どんな感じだったんだろうって聞いてみたいです。
ひょっとしたらわかりやすく「今に見てろよー」って感じだったような気もするし
でも普段話していると、ムッシュってもっとバランスがとれていたような気もするし。
Answer
(afloat-f ムッシュ豊田さん)中村さん、昨日の夜ですか?
全然気づかなかったです。すみませんっ!
いつも中村さんの家の前を通るときは、
「中村さん、いないかなー」と思って徐行してるんですが(笑)。
で、僕は、最初アフロートに入る前、
西麻布の店でやっていました。
10坪くらいの小さいお店で最初働いていたんです。
スタイリストが3人、アシスタントが3人。
みんな家族みたいで、すごくアットホームで、
練習しなくても何も言わないし、あたたかい感じのサロンでした。
その当時、僕は一般誌よりも業界誌をよく見ていたんですよ。
PREPPYとか、TOMOTOMOとか、当時のしんびようとか。
そのころって、
タケルさんとか(編集部注:ビュートリアム)
土橋さんとか(編集部注:現ディフィーノ)、
ヘブンスの小松さんとか、あとうちの社長(編集部注:アフロート宮村さん)とかが
雑誌にぶわーっと出ている時期だったんですよね。
そういうのを見ているうちに、
「青山の美容院ってどんなところなんだろう」って思うようになって
どうせ美容やってるんだったら日本一といわれている地域で
どういう仕事をしているのか見てみたいな、と思うようになって
アフロートを受けたんです。
お金が欲しいとか、そういう感じじゃなかったですね。
ただ、日本一といわれている地域の人たちの仕事を見てみたい、って感じでした。
アフロートに入ってまず最初に
「ライバルがすごくたくさんいる」ってことを感じました。
いままでそんな環境におかれたこともなかったし。
当時、僕は埼玉の実家から通ってたんですが
九州や北海道から出てきて、お金なくて毎日辛くて、
でも頑張っている人たちを見て、
これは負けてられないなって思いました。
今までって、すごくぬるま湯だった
今までの俺は甘かったなというのを反省しつつ
これは人の2倍くらいやらないといけないなって感じで。
前のサロンではジュニアスタイリストまでいってたんですが、
アフロートに入ったときはアシスタントで
シャンプーから。本当にゼロからのスタートだったので。
24歳の秋にアフロートに入ったんですが、
その時期、アフロートってアシスタント15人のスタイリスト8人で
24歳っていうと、みんなスタイリストになっているような時期だったんです。
今に見てろ、というより、
スタートが遅いっていうことに対してのあせりがすごかった。
とりあえず、3年くらいは寝ないでもいいから頑張ろうという勢いでした。
そんなアシスタント時代です。
塚本繁さんから中村康弘さんへの質問
Question
(K-two AOYAMA 塚本繁さん)中村さん、先日は熱い語らいありがとうございました。
中村さんはずっとMINXだと思います。
で、MINXの今までの成功への道のりのなかで、
ファミリーを含めたたくさんの外部の方々と接してきたと思いますが
是非僕が尊敬してやまない中村さんに聞いてみたい質問です。
アシスタント時代に尊敬していた人は誰ですか?
また、それはどうしてですか?
その人がその当時の自分にとって
どんな影響を与えたかを教えてください。
よろしくお願いします。
Answer
(Tierra 中村康弘さん)ありがとうございます。
久しぶりの出番ではりきっちゃいます。
塚本さんからで嬉しいけれど、
友達増えてなぁい(笑)。
で、まる一日、
今日、サロンがお休みだったので考えてみたんですけれど、
あんまり出てこないんですよね。
実は昨日も、美容師生活を振り返るようなインタビューがあって、
そこでも一生懸命思い出そうとしたんですが、
アシスタント時代、あんまり記憶にないんですよね。
すごくストイックにやっていた時期だったからでしょうか。
ほとんど記憶がないんです。
で、僕、
憧れの人とかって、子どものころからないんですよ。
もちろん、そのつどそのつど、
例えばアシスタント時代に感じた鈴木三枝子さんの存在とか、
高橋マサトモさんとか、同じサロンでのリアルな目標に対して、
吸収しようとかそういうのはあります。
でも、目標の人がいたとしても、
どんな人も、明らかに自分とは違っているし、
もしその人だけを憧れだったり目標だったりって見ていると
その人に追いついたときどうすればいいかとか
そこでとまってしまうんじゃないかと思うんです。
あとは、やっぱり、美容師以外の人からも
常にいろんなことを吸収しなきゃいけないと思うんですよね。
だから、そういう目標とか、憧れとかっていうのは、
「この人!」という感じではなかったと思います。
大丈夫ですかね。こんな回答で。
ちょっと話は違うんですが、
昨日インタビューを受けて
自分のアシスタント時代から今までを振り返って思ったのが
僕の美容人生って、
なるようになると思ってならないか
なんか恵まれてうまくいっちゃうのか
もうその2つのうちのどっちかな、って感じがしたんです。
もちろん後者だと信じてやっているわけですが。
ただたんに、運にまかせているわけではなく、
やることをやった上で、運にまかせているという感じです。
岡村享央さんから塚本繁さんへの質問
Question
(MINX central 岡村享央さん)塚本さんって、とても無駄のない人のような気がしています。
おそらくアシスタントの頃から、
先の仕事や自分の将来をいろいろイメージしながら
仕事していたのではないかと思っています。
そこで、質問です。
自分が『こうなりたい』というイメージに対して、
アシスタント時代、どういう努力をしてきたのでしょうか。
Answer
(K-two AOYAMA 塚本繁さん)ご質問ありがとうございます。
岡村さんとは最近よくご一緒させてもらって
勉強いっぱいさせてもらっています。
ありがとうございます!
で、質問に関してですが、
アシスタント時代の努力……ですよね。
自分がこうなりたいというイメージは
近くのことも遠くのことも含めて
まず「見る」ということがスタートです。
見るというよりは目で感じるという表現のほうが
近いかもしれませんが……。
見るということは、正直、当たり前にほとんどの人ができるものです。
だから誰も、見るということに努力という言葉を使いません。
そうではなくて目で見、感じるという努力をすること、
これが非常に大切で、
それを僕はアシスタント時代はもちろん、
今もなおずっとしています。
そうすると、仕事の段取り、状況、先読みという能力は自然と向上するし、
その中で、自分がやっていきたい方向、
仕事を見つけ、それを具現化できるようにしていきます。
で、実際に「こうなっていきたい」ということを具現化するためには
上記のことをベースに、まず「描くこと」をします。
頭でえがくのではなく、実際に描く! です。
そうしたら、目で感じることができますよね?
自分の描いた文字から想いや情熱が……。
不思議なんですけれど、描いた文字を目でとらえれば、
そのための努力というものは、自然とやるべきことが見えてくるし、
わかってくるもんです。
この努力の方向性というのが大切で……。
努力は誰もができるし、僕がした努力というのも
他とそんなに変わらないと思います。
ただ、この努力の方向性を見つけられる「目の育成」と「描くこと」。
強いて言えば、この2つのための毎日の努力はずっとしてきましたし、
これからも続けるつもりです。
植田高史さんから岡村享央さんへの質問
Question
(S. 植田高史さん)僕はアシスタント時代に
ベーシックみたいなところをかなり我流でやってきたタイプなんです。
今、自分のサロンのアシスタントに技術を教えるにあたって、
そのあたりを勉強し直しているところです。
岡村さんの本は何冊か買わせていただいて、
すごく整理されていてすごいなーと思っています。
このような技術や理論というのは、
アシスタント時代にどう自分に記憶させて、
どう自分らしく変化させたり発展させたりしていったのでしょうか?
岡村さんの本の一読者として素朴な質問でした。
Answer
(MINX central 岡村享央さん)本、買っていただいて恐縮です。
僕がアシスタントのときに習っていたベーシックというのは
習ったときにお客様に通用するベーシックだったんですが、
自分がアシスタントに教える時代になったときは
それは通用しなくなっていたんですよね。
時代として、重さから軽さへ以降していった時代で。
なので、アシスタントにカットを教えるにあたって
自分がアシスタント時代に習ったベーシックをベースにして
もっと今の時代にあった
新しい理論みたいなところを整理する必要が出てきて
ウィッグに向き合うようになったわけです。
だから、僕自身もスタイリストになってから
勉強した部分は多いです。
たしかに、アシスタント時代から
カットにはすごく興味があったんですよね。
どうして思ったように切れないのか
どうしてこういう仕上がりにならないのか
そういうことは何度も繰り返して考えるタイプでした。
今、スタッフにカットを教えるにあたって
注意していることは2つあります。
ひとつは、まずカット自体の原理を教えるということ。
それは、頭の丸みに対してパネルをどう引きだすかということだったり、
髪は短いほうから長いほうに流れるものだという原理を教えることだったり。
もうひとつは、カットって、
プロセスに走りやすくなると思うんですよ。
理論が整理されていればいるほど、
プロセスに走りやすくなる。
なので、カットというのはあくまで
仕上がりのデザインのためのカットであるということを
意識することって大事だと思うんです。
「こう切ったらこうなった」というんではなく
「こうしたいから、こう切る」という考え方ですね。
あくまで、イメージしたものを作るためのカットであるということを
強調して教えるようにしています。
高柳司さんから植田高史さんへの質問
Question
(FLOWERS 高柳司さん)僕よりずっと波乱万丈な人生を送っているはずの植田君に。
日本に戻ってきてくれて、本当に嬉しいです。
美容師ブームの全盛期の時、
年下なんですけれど、本当に植田君、うまくって、
いつも「うわっ、悔しい」って思ってたんです。
「こんなに若いのに、この人いったい何なんだろう?」って思うくらい
植田ワールドを持っていて。
そんな植田君のアシスタント時代の育ち方と、勉強のしかたって
どんなんだったんだろうって、聞きたいです。
Answer
(S. 植田高史さん)タカさん、ありがとうございます。
僕、あの時代の美容ブームのあのタイミングだったので、
幸か不幸か2年半くらいでスタイリストになっちゃったんです。
でも、デビューがはやかったから、
技術や感覚がまだともなっていなくて、
撮影だったり、お客様だったり
いろんなチャンスはあったんだけれども、生かしきれてない感じで。
もともと写真が好きだったので、
自分のスタイルがうまくあがらない苛立ちもあったりして。
人並みだけど、写真集や雑誌を切り抜いたりして
自分の感性に合うものをファイリングしていました。
あ、でも、これはアシスタント時代にもやっていたんですが、
本気でやり始めたのはスタイリストになってからですね。
Aksでのアシスタント時代は
とにかく周りの環境がすごくて、
周りの人たちの、ひとつの撮影に対する集中力みたいなところって
本当にすごかったんですよ。
精神削ってやっているって感じでした。
それを目の当たりにしていたので、
自分もそこまでやるのが当たり前だと
すんなり思えたのは良かったと思います。
僕、アシスタント時代は
確かにすごく練習もしたんですけれど、
それ以上に夜遊びしてました(笑)。
タイムカード作ったほうがいいんじゃないのって冗談言われるくらい
あらゆるクラブに毎晩顔出して、
睡眠削って通ってましたね。
そのころに出会った夜遊び友達が
スタイリストだったりカメラマンだったり、
グラフィックデザイナーだったり。
その当時はまだ同じくらいだったそういう人たちと、
その後、一緒にCMをやるようになったり、
一緒に仕事をすることもあったりしたんですけれど
そういう人たちとはやい段階で知り合えたことは
本当によかったです。
夜遊び友達から学ぶことは本当に多かった。
「この人の写真、マジやばいからチェックしなよ」って言われて
写真集買ったりして。
アシスタント時代に他業種の人と交流できたというのは
すごく大きかったと思います。
僕、スタイリストになって、
毎日ヘアのことを考えて考えていっぱいいっぱいになっちゃって
自分の限界を感じたりもして、
ちょうどAksの店長をやっているときに、日本を出たんですね。
その時はスペインとか、パリ、ロンドン、N.Yとか、転々としたんですけれど、
それも、友達のいるところを世界中うろうろしたって感じです。
足かけ1年くらい、サロンワークを離れていました。
日本に帰ってこようと思ったのは、
思いのほか、世界に出てみて「日本がすごい」と認識したからです。
「VOUGE」のスタッフや「i-D」のスタッフとも会ったりしてはじめて
日本で仕事していたスタッフのすごさがわかったというか。
東京がオリジナルの発信地になりうるということがわかったので、
海外にいなくてもいいな。日本でやろう、と思うようになったんです。
こんなんで大丈夫でしょうか。
三笠竜哉さんから高柳司さんへの質問
Question
(Tierra 三笠竜哉さん)TAKAさんのアシスタント時代って、
もうまったく想像できないんですが、
どんなアシスタントだったんですか?
あと、お話をさせていただくと、
ものすごくスタッフへの熱い想いを感じるのですが、
それはご自身のアシスタント時代と
関係があるのでしょうか?
Answer
(FLOWERS 高柳司さん)僕って、志の高い美容師ではなかったので(笑)。
100問100答(編集部注:「サンドリヨン」のスタイリストインフォ参照)でも、
「なぜ美容師になったかわからない」と答えているくらい、なりゆきなんですよ。
高校卒業した後、僕って途方にくれていて、
働くところもやりたいこともなく、
一番好きだったお酒に近いところってことで、
バーテンやってたんですけど、
その時、ちょっと手伝ってと友達に言われて手伝った美容が面白くなってきて
東京に出てきたんです。
それこそ東京の美容業界がどうなってるのかなんて全然知らなかったし、
当時の嶋さん(編集部注:ヘアサロン「SHIMA」代表)のことも知らないくらいで。
で、そんな感じで東京に出てきた僕に、
「せっかく出てきて頑張ろうという気持ちがあるなら、
オペラ(編集部注:現ACQUAの前身)がいいんじゃない」と
言ってくれた人がいて、面接にいったんです。
僕、その時、東京に家が無かったんですよ。
そんな僕に、オペラの先輩が
「その気があるんだったら、働けば。いつから働ける?」って言ってくれたんです。
「すぐ働けるんだったら、今から上着脱いで働け」って言ってくれて。
面接行ったその日から働かせてもらいました。
オペラで働くようになってからは、
「今まで美容をちょっとかじってました」とか、
もう冗談でも言えないくらいのレベルの差に圧倒されちゃって。
自分がやってた美容なんて
「美容やってた」なんて恥ずかしくて言えないくらいだって思いましたね。
やるならちゃんとやろうと思って東京に出てきたわけだし、
そういう圧倒的なレベルの差を見せつけられて、
純粋に学ぼう、学びたいという気持ちがわいてきて、
家がなくて、帰るところがないので、ひたすら練習したんですよ。
もう、長野の田舎から出てきた若者ですから。
夜遊びも楽しいし、女の子も可愛いし(笑)、
そして、学んでいくことも楽しくって。
全てがいい意味のカルチャーショックで
毎日2時3時まで練習して、
その後、毎日夜遊び。
そのうち、寝かしてくれる友達と髪を切らせてくれる友達ができたんですね。
それが美容師ブームのちょっと前くらい。
森内さん(編集部注:現GARDEN代表)とかがACQUAに集まってきた時で、
とにかくすごいメンバーだった。
一緒に働いている仲間がすごかったら、やっぱり悔しいし、
競争するのが楽しい、すごくレベルの高いところでやれてたので、
ひたすら遊んでひたすら練習しての繰り返し。
学ぶこと、遊ぶこと、全然苦じゃなかった。
スタッフに対する愛情というのは、確かに人一倍強いと思います。
僕って、東京出てきたとき浮浪者だったわけなのに、
それをメシに連れて行って夜遊びに連れて行ってくれた先輩がいたから
美容師になれたという気持ちが本当に強くて、
だから、スタイリストになってからは、
とにかくアシスタントを大事にしたい、
スタッフを大事にしたいって
思ってやってきました。
今の自分がこうなれているのは
自分の力ではなかったと本当に思ってるんです。
周りの支えがあってこうなれているので。
もちろん厳しさも人一倍あるんですけれど、
スタッフに使ってきたお金があれば、
今頃マンション買えているっていうくらい(笑)。
今は、自分でお店を持つようになって、
特に、自分の美容師としての地位や名誉とかよりも
とにかくうちのスタッフに
「ここでやれてよかった」という結末を迎えて欲しいという気持ち、
トップとしての責任みたいなことを強く感じます。
うちで育っていくこいつらがよりよい美容師になっていくための
俺が責任者だ、と。
その責任が、個人の地位や名誉とかよりも、一番重いと思うようになった。
自分ひとりのお店だったら、やるだけやってダメだったら、
美容師として他に生きていく道もいろいろあるだろうし
辞めることだってできるかもしれない。
今、物件探しているんだけど、
自分ひとりだったら、表参道にこだわってお店を続ける必要もないと思う。
でも、僕は美容ブームを経験できたり、
今も自分のお店をもてて、代表をできたりしていて、
すごく恵まれているけれど、うちのスタッフはそういう経験をしたことがない。
こいつらに、そういう自分が経験してきたことを
経験させてやりたいって思うんですよ。
そういう美容師人生って辛さもあるけれど、いろんな喜びもある。
それをスタッフに伝えたいんだよね。
だから表参道にこだわるし、
すごく厳しくもしているし、
こいつらのためというのがすごくある。
VANさんから三笠竜哉さんへの質問
Question
(Double VANさん)僕はすごく亀さんタイプで、
アシスタント時代が7~8年あったんですね。
アシスタントをしている間にどんどん同期がデビューしていって。
で、僕が見ていて、
すごくウサギさんタイプに見えるのが三笠さんなんですけれども、
物覚えがはやそうで、器用で、
若いけれどもちゃんと裏づけのある自信を持っているような。
そういうアシスタント時代が短かったウサギさんタイプの人って
短期間でどうやっていろんなことを学んで、
自信をつけていくのかということを
すごく聞いてみたいです。
Answer
(Tierra 三笠竜哉さん)VANさん、ありがとうございます。
でもなんかびっくりです。
VANさんからそういうふうに見てもらってるとは。
ありがとうございます。
僕は、3年間アシスタントやって、
3年半めくらいからはスタイリストしていました。
技術的には器用だったので、
確かにはやく進んでいったのはあったんですが、
そのぶん、怖さもあったんですよ。
いつか絶対コケるときがくるだろうというのがあったので。
それは今でもそうなんですけれど、
必死に自分に自信を持つように
言い聞かせてやってきたようなところがあります。
あとは、美容が好きなことだったということや、
はるばる北海道から出てきているということもあって、
とにかく誰よりもうまくなりたいとか、
誰よりもお客さんに支持されたいとか
そういう気持ちはすっごく強かったと思います。
いろんな人たちから話を聞いたりして、
なんとか食らいついていったという感じです。
僕、ひたすらうまくなりたいという気持ちだけで、
美容師として、自分のビジョンというのは、
明確になかったと思うんです。
自分の好きなものを最初からもっていた人ではなかったと思います。
そこは、スタイリストになってから
気づいていった部分です。
確かにアシスタント時代が短いことで、
スタイリストになった時に、
まだ足りなかったことも多かったと思います。
だから、スタイリストになってからの勉強も多かったし、
今でもそれは勉強している最中です。
スタイリストデビューしてから今まで、
一番強く感じていたことは、
後輩の見本にならないと、という部分でした。
後輩が夢を持てるようになりたいっていう
その気持ちでなんとか突っ走っている気がします。
MARBOHさんからVANさんへの質問
Question
(anti lagoon MARBOHさん)アシスタント時代に感じた達成感は何ですか?
それはいまでもお客様につながっていますか?
Answer
(Double VANさん)達成感……。マーボー……。達成感……。
マーボー……。
えーと、そうそう僕、マーボーと仲いいんですよ。
よく携帯に電話かかってくるんですよね。
週イチくらい。
マーボーって、同じ美容師なのに全然美容師サイクルじゃなくて
昼間の3時に突然「ゴルフの練習行こうよ」とか。
普通に営業中だって(笑)。
でも、しょっちゅう一緒にメシ食いにいってます。
えっと、で、達成感ですよね。
そうですね。やっぱりわかりやすくいうと、
技術チェックひとつひとつ
シャンプー、カラー、ブロー、カットのテストに受かっていくってのは
やっぱりわかりやすく達成感だったのかもしれないんですけど。
僕、途中お店をうつったりして、
19歳から26歳まで7~8年アシスタントやってたので、
アシスタントがすごく長かったんですよ。
だから、お店が変わったり、テストしてくれる人が変わったりすると
達成したつもりでいても達成していなかった、
わかったつもりでもわかってなかったというような
そういう繰り返しでした。
「達成しました!」というのがあるようでない。
達成したつもりでもしてなかった。
それが美容師の方程式みたいなものだと思っています。
僕、もの覚えが悪かったんですよね。不器用だし。
いや、今でもなんですけど(笑)。
うさぎさんか亀さんかというと、
完全に亀さんタイプだと思うんです。
自分ができたつもりでも、
時間がたったらやっぱりできなかったり、
達成した気になっても、やっぱりわかってなかったり、
7~8年間そういう繰り返し繰り返しで。
だから、僕、簡単に自分にOKを出せなくなっていると思うんです。
今でも、撮影や売り上げで、目標を達成したなと思ったときも
やっぱり、達成感「らしきもの」、しかないんですよね。
100%達成した、なんてことは、これからもないような気がする。
達成したような錯覚はあっても。
そういう意味では、
自分に簡単にOKを出さなくなったというのが、
アシスタント時代に身について、
今でも役立っていることかな、と思います。
yu-kiさんからMARBOHさんへの質問
Question
(U-REALM yu-kiさん)アシスタント時代に一番嫌だったことは何ですか?
自分でスタッフを抱えるようになってから、
そういうことがすごく気になるんです。
Answer
(anti lagoon MARBOHさん)ひとことふたことで終わっちゃいそうですけれど。
アシスタント時代って、自分がどう見てもらっているかって
上の人に評価されるしかないじゃないですか。
頑張っている部分の評価に対して不公平なところがあると、
真面目に取り組んでいる人ほどやる気がそがれますよね。
オーナーしかり、店長しかり
きちんと自分をみてくれるということが大事。
その人たちの評価が、
自分のやっていることがかけはなれてくると
やる気がなくなってきちゃうと思うんです。
自分のためにやっているということはわかっていても、
いかんせんアシスタントって未熟だから
ストイックに自分だけのことを考えてやっていくってことは、
難しいと思うんだよね。
弱ってきたときには、きちんと評価されたいと思う。
僕自身は、嫌だったと思ったことはそれだけです。
たとえば忙しいこととかって、別に嫌でもなんでもなかったなー。
忙しくても美容に携われるってことが嬉しかったし、
逆に、忙しいことが自分に自信をつけてくれていたので、
なんとも思わなかったですね。
それよりは、先輩が、ちゃんとアシスタントを見てくれていたかどうか。
そういうことで頑張れたり嫌になったりしたなーと思います。